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史跡(城跡・遺跡など)

担当 : 教育委員会 / 掲載日 : 2021/11/04

久礼城跡「佐竹氏居城跡」(くれしろあと「さたけしきょじょうあと」)


久礼城跡(佐竹氏居城跡)

県下有数の規模をもつ城

海抜103.5mの城山の頂上に詰ノ段(佐竹神社)をかまえ、東西に一段低く土塁をめぐらした曲輪を設け、ゆるい傾斜をもつ東及び東南に幾重にも土塁をかまえ、北方下方にも曲輪をかまえる。堀切・竪堀・畝状竪堀があり、県下有数の規模をもつ城として注目される。※登り口については、保育所横にあります。また、駐車場については、役場横の立体駐車場をご利用下さい。
【指定区分】中土佐町
【種別】有形文化財(史跡)
【所在地】久礼
【所有者・管理者】久礼八幡宮他
【指定年月日】S51.10


海雲寺跡(かいうんじあと)


海雲寺跡

平田氏の菩提寺

網代の山麓に西面して寺地が残り、立派な石垣が築かれ、北方と現在ある観音堂の前から西方下にかけて石段が残っている。平田氏の菩提寺と伝えられており、五輪塔残欠があるが伝承のみで資料的な裏付けはない。
【指定区分】中土佐町
【種別】有形文化財(史跡)
【所在地】上ノ加江
【所有者・管理者】
【指定年月日】S51.10


観音堂(かんのんどう)


観音堂

眼下にひろがる海

矢井賀の浦分は1667年に山内勝政が新たに開いたもので、それ以来、所領となった矢井賀にしばしば遊んだようで、港のすぐ上に建てられた観音堂からの眺めは格別で、眼下にひろがる海のながめを楽しんでいたようである。山内勝継も「潮音堂」と篇額を奉納している。
【指定区分】中土佐町
【種別】有形文化財(史跡)
【所在地】矢井賀
【所有者・管理者】矢井賀部落
【指定年月日】S51.10


常賢寺跡(じょうけんじあと)


常賢寺跡

六部地蔵経塚佐竹義直主従の墓

常賢寺跡には石垣、土塁、池跡が残り。佐竹義直逆修五輪塔及び主従の墓あり、歴代住職の卵塔もある。大門山脇上に砂岩製の経塚1713年、高さ10cm(一石一字経)、砂岩製約42cm六体の地蔵がある。
【指定区分】中土佐町
【種別】有形文化財(史跡)
【所在地】久礼
【所有者・管理者】西岡忠臣氏
【指定年月日】S51.10


大野見城跡(おおのみしろあと)


大野見城跡

津野軍の最前線基地

大野見城は別名槇野々城とも呼ばれていた。津野軍にとってこの城は幡多中村の一条軍に対して最前線基地であった。古戦場でもある。
【指定区分】中土佐町
【種別】史跡
【所在地】大野見槙野々


道金山の熊野神社(どうきんざんのくまのじんじゃ)


熊野神社

スサノオの命を祭神

「熊野山所権現」を永享2年(1430年)竹原に勧請したものと言われ、スサノオの命が祭神。千年前、この熊野は全国的な衆庶信仰の一大霊場となり、多くの人が参をしたと言われている。本殿は慶応3年、高知の宮大工によって作られた。建物、彫刻ともに尊厳である。長い参道の坂道も珍しい。
【指定区分】中土佐町
【種別】史跡
【所在地】大野見竹原


津野神社(つのじんじゃ)


津野神社

津野親忠の霊を弔った

この社は400年の昔、萩中の田上六左衛門重政が、かつての主人津野親忠の悲惨な最期を悼んでその霊を祭ったもの。
【指定区分】中土佐町
【種別】無形文化財(史跡)
【所在地】大野見寺野


陽谷山清泉寺(ようこくざんせいせんじ)


陽谷山清泉寺

肉筆の大般若経600巻保存

起源については慶長5年(1600年)ともいわれているが、長曾我部地検帳にもこの寺の名前が見られることから開山はそれより100~200年は遡るのではないかと推測されます。
本堂は、宝暦10年(1760年)と万廷元年(1860年)に改造されました。明治4年の廃仏毀釈の嵐を免れた唯一の寺です。
応永20年(1413年)写し始め安永3年(1774年)まで362年間代々の住職によって書き続けられ完成した肉筆の大般若経600巻が保存されています。

【指定区分】中土佐町
【種別】指定文化財(史跡)
【所在地】大野見竹原




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教育委員会


〒789-1301 高知県高岡郡中土佐町久礼6663-1
電話:0889-52-2661 

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