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四万十川流域の文化的景観【大野見地区】

担当 : 教育委員会 / 掲載日 : 2015/08/07

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四万十川流域の文化的景観 −上流域の農山村と流通・往来− (大野見地区)

高知県中土佐町の大野見地区は標高300mの高原台地にあり、地区面積の97%を山林が占める自然豊かな地域である。この大野見地区を二分するかのように日本最後の清流と言われる四万十川(渡川水系)が流れている。四万十川は柿田川(狩野川水系)や長良川(木曽川水系)と共に日本三大清流の一つに数えられ、高知県の中西部〜西部を流れる全長196Kmの四国最長の一級河川である。

大野見地区は、その四万十川本流の源流点から18〜37Kmの上流域に陣取っており、地区の中心部を流れる四万十川の本流に向かって、島ノ川、下ル川などの支流が注ぎ込んでいる。これらの支流河川の流域には、良質で豊富な森林と天然林が残る国有林があり、藩政期には良材を求めて木地屋(きじや)の入山、また近代期には国有林事業が盛んに行われた。杣(そま)や木挽き(こびき)によって伐り出された材木は、陸路が整備されるまでの間は四万十川やその支流を利用して”管流し(くだながし)”または”筏流し”の手法で下流まで運ばれた。

昔から四万十川は「暴れ川」の異名を持ち、、周辺の住民は度重なる水害に悩まされてきた。この四万十川の両岸に開けた集落や農地との往来には板橋・滑車を利用し苦労を重ねてきたが、昭和期になって増水にも強い沈下橋が各要所に設置されるようになった。この沈下橋は対岸を結ぶ生活道として人々の生活に欠くことの出来ないものとなり、現在では四万十川を代表する文化的財産および景観となっている。
この長大な四万十川の本流には12ヶ所の頭首工(堰)が存在するが、その中の6ヶ所の堰が大野見地区に集中する。大野見地区の住民は、四万十川本流・支流の狭小な土地に対する地道な開墾と新田開発を、藩政期の時代から続けてきた。地区内には、それらの開発に伴う灌漑工事で構築された頭首工(堰)が遺存する。

この大野見地区の主な景観要素としては、四万十川本流の最上流にある沈下橋「高樋沈下橋」と高樋集落、四万十川本流に架かる2番目の沈下橋である「久万秋沈下橋」と久万秋集落、大野見地区の中心部に架かる「奈路橋」、四万十川本流に架かる3番目の沈下橋である「長野沈下橋」および周辺に鮎釣りポイントやキャンプ場をもつ槇野々集落、良質で豊富な森林と天然林が残り渓谷の紅葉が綺麗な島ノ川国有林区域、石積み田畑が現存する萩中川区域の新改集落、唯一石積みの頭首工(堰)が架かる下ル川区域・大平集落と中井集落などである。


高知県中土佐町大野見地区マップ

四万十川上流区域の文化的景観(平成21年2月12日選定)

この四万十川上流区域は、全長196Kmの四万十川源流点から18〜37Km地点に位置する。海抜300mの台地に上流域では希な水田が広がる農業集落地域でもある。「川は近いが水は遠い」と言われたこの地域では、四万十川やその支流に多くの頭首工(堰)を設け、川からあちこちに水路を張り巡らし生活用水や農業用水として利用してきた。また、四万十川は暴れ川とも言われ、人々は度々水害に悩まされてきた。板橋や滑車で、川の両側に開けた集落や農地との往来に苦労してきたが、昭和期になって増水にも強い沈下橋が設置されるようになった。この沈下橋は対岸を結ぶ生活道として人々の生活に欠くことの出来ないものとなり、沈下橋の架かる景観は四万十川を代表する風景となって人々に親しまれるようになった。
この大野見地域ではその97%を山地が占めるため、古くより御留山(おとめやま)が多く存在し、人々はこれらの山々に囲まれたわずかな土地を対象に、農林業の複合経営にその生業を求めてきた。大野見地域で伐り出された材木は陸路を久礼港や須崎港まで運ばれ、近畿圏などに輸送された。

大野見・高樋集落の景観


高樋沈下橋

高樋沈下橋は、四万十川本流の最上流に架かる沈下橋で、通称「大股の沈下橋」ともいう。この場所には、元々頭首工(堰)が築かれていたが、下流に構築された新堰の影響を受けた板橋の浮き対策として、旧堰堤の上に造られた。

この高樋(たかひ)集落辺りの四万十川の流れは、緩やかな蛇行を繰り返しながら西から東に流れている。その四万十川に沿うかのように標高350mの等高線上に高知県道19号線(窪川船戸線)が走り、集落の民家は谷水の利用可能な箇所に5〜15戸の小集落を構成している。集落の北側は小高い山で、杉や檜の針葉樹と椎、栗、楢などの広葉樹が見られる。四万十川の北側にある集落から、高樋沈下橋を渡った南側には耕作地としての広い田畑が存在しており、南側の山の樹木も北側と同様の針葉樹や広葉樹で構成されている。栽培を止めた畑地には栗や柿の木が植えられ、背後の山を含め木々の彩りから季節を感じられる。集落では過疎化が進行しているが、当集落が繁栄した明治〜昭和前期の景観を今に留めている。
この高樋地区の景観の特徴は、山や川(四万十川)および集落里山の持つ形状により、四季折々の表情が大きく変化することにある。春における木々の萌える色、夏の太陽のもとで輝きを増す四万十川の水面、秋の雑木林において深まりゆく紅葉、冬には川沿いのススキの穂や落ち葉など、地区の景観には四季折々の大きな変化が見られる。集落の民家、棚田の石垣、四万十川に架かる沈下橋など一見無表情に見えるものが、周辺の四季折々の自然環境の変化や色彩の変化の中に溶け込み、集落の景観の美しさとして滲み出ている。
また集落の地形から見られる川幅、道幅、棚田、里山までの集落幅などの形状は、大野見地区における四万十川最上流の、山地優勢の狭小の土地を有効に活用した集落の景観としての特徴を現している。

大野見・久万秋集落の景観


久万秋の田園風景

久万秋(くまあき)集落は、標高280m辺りを南流する四万十川本流の下り方向左岸に位置する集落である。集落の南側を流れる四万十川には、本流第二番目の沈下橋である久万秋沈下橋があり、対岸には奈路集落がある。集落を走る主要道路は高知県道19号線(窪川船戸線)であり、集落の西側には標高300mの田園風景が広がる。
久万秋集落の田園風景(四万十川上流・大野見)

【久万秋の田園風景】
久万秋集落での民家は、木造切妻造桟瓦葺きで、伝統的民家は軒の低い平屋の構成である。建築年代は明治期から昭和中期頃のもので、入口は全て平入りとなっている。周辺の菜園と共に落ち着いた里山集落の景観を残している。
集落の東側の山林は椎や樫の萌芽林で、対岸の神母野の山々には杉の木が目に付く。田園部分(標高300m)と背後に連なる山々(標高600m)の高低差はこの地域特有の里山らしい落ち着いた景観を呈している。

【久万秋の地名の由来】 開拓の祖と伝われる長左衛門が奈路地区の開拓を始めた頃、ビシャク谷から出る熊の害を防ぐ為の垣が存在したので”熊垣”と称し、これが後々”熊秋”から”久万秋”へと変化したと言われている。
中世の大野見では蔭石和尚による開拓が行われ、久万秋にある久万崖(くまだき)の岩場を掘った水路による灌漑で、四万十川の水を引き稲作が行われ、その後も長い時代を通じて開拓と灌漑が繰り返された。蔭石和尚による堰の構築は橋谷、久万秋、折野々、奈路、吉野、神母野、竹ヶ市などの諸堰が伝えられている。



久万秋沈下橋

久万秋沈下橋は中土佐町大野見の久万秋集落から奈路集落に渡る沈下橋で、昭和39年に架橋された四万十川本流における第2番目の沈下橋。橋長49.0m、幅員3.0m。

久万秋沈下橋の袂に残る広場は競馬場の跡で、昔の農閑期の村人が一時競馬に興じて楽しんだ場所だそうです。

大野見・奈路集落の景観


島ノ川針葉樹林

奈路(なろ)集落は大野見地区を南流する四万十川の右岸に位置し、高知県道19号線(窪川船戸線)が集落の中を通る。四万十川に架かる久万秋沈下橋を渡ると久万秋集落へ、また奈路橋を渡ると旧大野見村役場のある吉野地区である。
また奈路集落は、大野見地区で最初に開拓されたとされる場所であり、面積が20町歩に及ぶ大野見地区で最も肥沃な美田を有する穀倉地帯である。現在も大野見地区における農業の中心的な地域である。奈路集落を縦横に走る水路は、島ノ川に堰かれた奈路堰から引かれている。

奈路集落の背後には、島ノ川山の豊富な森林資源を有し、かつては奈路地区や喜田地区に官行事業の土場(木材置き場)や製材工場があり、木材の集積地として活況を呈していた。
1992年に実施された高知県教育委員会の遺跡分析調査で宮野々遺跡、折野々遺跡が発見された。宮野々遺跡は現在のところ、四万十川最上流の弥生〜古墳時代初頭の集落遺跡である。折野々遺跡は縄文時代の遺跡である。



奈路橋

【奈路橋】
奈路橋は、郡道窪川線(現在の県道19号線)の着工に伴い大正4年に最初の橋が架橋。橋の右岸が奈路集落、左岸が吉野音羽集落。現在の奈路橋は昭和34年に架橋された鉄筋コンクリート橋である。

大野見・槇野々集落の景観


長野沈下橋の上流の風景

四万十川を下り大野見・奈路集落から槇野々(まきのの)集落・長野集落辺りに来ると、川は大きく東西南北に蛇行を繰り返し、川幅も30mから50mに広がり、四万十川の両岸には連続した竹林風景が見えてくる。この両岸の竹林による護岸および田園風景や里山に向けて民家の点在する風景は、大野見地区でも得意な景観になっている。

槇野々集落は、山裾に四万十川が、背後には連山があり、その連山の前に突き出た古城山は川の上下に睨みのきく要衝で、城の配置には最適な場所であった。しかし灌漑が不便で稲作には適さず畑作中心であったが、大正5年に奈路灌漑の余水を引いて槇野々一帯の水田を灌漑している。
中世において槇野々は二度の激戦地となっている。一つは大野見殿と呼ばれる大野見城の城主と津野氏の攻防で、もう一つは幡多一条勢と津野氏である。



長野沈下橋

【長野沈下橋】
長野沈下橋は、昭和40年に架橋された四万十川本流に架かる第3番目の沈下橋である。大野見地区を流れる四万十川の最下流に架かる沈下橋。右岸は槇野々集落、左岸は長野集落。橋長32.0m、幅員1.5m。

島ノ川国有林区域の文化的景観(平成21年2月12日選定)

四季折々の風情と清流、動植物と自然豊かな島ノ川渓谷(島の川川)周辺は、ボランティアによる広葉樹を植樹する活動が行われていた区域である。また、良質で豊富な森林と天然林が残る国有林は、計画的な施業と地域との調和が計られ天然林の保護や回廊域の複層林化を中心に自然保護区域として位置付けられている。
現在、大野見地区に残されている山林のうちの約23%の国有林は、藩政期における御留山を基礎とするものである。この島ノ川国有林や下ル川国有林は、大野見地区の豊富な良材の宝庫として知られた山林である。
旧大野見村(現在の中土佐町大野見地区)では、平成16年(2004年)における旧大野見村施業計画時の国有林面積は2,146ha(人工林1,890ha、天然林170ha、他86ha)となっている。また当時の村有林は406ha(人工林391ha、天然林14ha)、民有林は7,004ha(人工林5,232ha、天然林1,772ha)を占めている。これらの山々は四万十川上流域にあって水源の涵養を担う重要な森林資源である。

島ノ川国有林区域の景観


島ノ川渓谷の紅葉

大野見地区は面積の97%を山林が占めており、藩政期には広大な面積が御留山として管理されていた。長宗我部時代の豊臣秀吉への献木や山内氏による駿府城普請時の木材1万本の献上などで知られるように、当時の土佐は良木が豊富な地域であった。その時代の土佐の木材積み出し船は約470艘で、主な積出港は安芸郡に6港、幡多郡では下田港、高岡郡では久礼港であった。明治期に木材や薪・炭などの需要増加に伴い、四万十川やその支流での水運が活況を呈するようになる。郡道大野見吉野−久礼間が開通するまでの間は、大野見地区の木材搬出は水運を利用した”管流し(くだながし)”と”筏流し”が中心であった。

島ノ川の住民は、山間の僅かな耕地を耕し、製炭や伐採の仕事に携わる半農半林で生計を立ててきた。深山・島ノ川渓谷は人工林に混じって落葉木の紅葉美を誇る渓谷である。山深いこの地は、大野見地区において木地屋(きじや)が最初に入った地でもある。



島ノ川の山並み

【島ノ川の山並み】
島ノ川には良材の宝庫として知られる国有林が存在する。また深山・島ノ川渓谷は人工林に混じって落葉樹の紅葉美を誇る渓谷としての顔も持つ。

萩中川区域の文化的景観(平成23年2月7日選定)

萩中川(はぎなかがわ)区域は大野見北部の津野町近くに位置し、押谷や程落から流れる萩中川(四万十川の第一次支流)流域の半農半林を生業とする集落で、萩中川に沿って石積みの田畑や集落が点在している。周辺の平地は狭小で山肌が近くに迫っているが、萩中川の両岸は棚田、段畑が開墾され、可能な場所は余すところなく耕地として利用されている。また、押谷には山上に雄大な茶園が営まれるなど、大野見中央部の広大な耕地とは対照的な景観を呈している。

萩中川区域の景観


萩中川区域の新改集落

丹念に積まれた石垣の小さな棚田や段畑が展開する、萩中川区域の農山村景観は、篤農と勤勉な農業を示す伝統的な石積みで、可能な限りの耕地を開拓し守られ続けた景観である。

中土佐町大野見の北部に位置する新改(しんがい)集落は、山肌を利用した棚田や棚畑での農業を継続している。石垣が少なくなりつつある大野見で、古くからの石積みで耕地を守り続ける集落である。新改集落に展開する石積みの棚田や棚畑は、小さな川石や開墾時に掘り出した山石を用いて積み上げられたものである。集落の背後に迫り来る山肌を、萩中川およびその支流に沿って可能な限り開墾し、石積みの棚田・棚畑が造られている。
新改集落のさらに上流の萩中川沿いには寺元集落があり、またその奥の押谷には山地利用の国営農場「モデル茶園」がある。寺元集落も平地は狭小で山肌が集落近くまで迫っており、萩中川の両岸沿いに棚田や段畑が開墾されている。津野町に近い大野見奥地の集落であるが、山裾の狭小な土地を有効活用した大野見北部の典型的な景観がよく現れている。



新改集落の石積み田畑

【新改集落の石積み田畑】
大小の石を積み上げて構築された棚田や段畑は、この地の人々の勤勉さを物語っている。石積みは、家族や親族および近隣の人々の協力により積み上げられたもので、地域には石積み名人と呼ばれる人がいる。

下ル川区域の文化的景観(平成23年2月7日選定)

下ル川(くだるかわ)区域は大野見北部に位置し、この区域の東川方面から西向きに流れる下ル川と、萩中区域から南流してきた萩中川が合流し、その後大野見寺野辺りで四万十川の本流に合流している。この下ル川区域では藩政期には御留山(おとめやま)が多く、良材を求めて木地屋(きじや)の入山もあり、近代期には国有林事業が盛んに行われた。大野見北部に位置するため、古くから須崎市方面との往来もあり、現在は県道317号萩中須崎線で須崎市へ通じている。区域は山地が優勢で平地が少なく、四万十川の支流である下ル川の両岸には、民家の背後や道路を挟んで川までの間および対岸など、耕作可能な場所には余すところなく棚田、段畑が開墾されている。川にはいくつかの頭首工(堰)があり、古くからの堰を集落の人の共同作業で守ってきた。頭首工(堰)は幾度も修繕を重ね、今も立派に周辺水田に用水されており、中でも石積みの頭首工(堰)は、支流下ル川にあって圧倒的な存在感を示す景観である。開かれた土地は丹念に耕作され、水に恵まれない耕地部分は生姜・茶・シキミなどの栽培に活かされている。

下ル川区域の景観


中井集落

下ル川

下ル川区域を構成する大平集落は、穏やかな山村の景観を持つ集落である。狭小の平地や山肌を切り開いた段畑を農地として有効に活用し、段畑の上段にはシキミ、下段には生姜や茶などが栽培されている。また中井集落は、大野見北部下ル川地域の最も奥に存在する集落である。大平集落同様に、狭小の平地や山肌を切り開いた段畑を農地として有効に活用している。林業の盛んな時代には、中井集落のさらに奥に東川集落が存在したが、国有林事業の衰退に伴い集落は無人化となった。



石積み頭首工

【石積み頭首工】
下ル川にある頭首工(堰)は、中世の頃からそれぞれの時代の様々な資材を用いて修理・保全されてきたが、この写真のものは唯一石積みの頭首工(堰)である。

用語の説明

【御留山(おとめやま)】 藩政期の藩有林。
【杣山(そまやま)】 木材にするための木を植林した山。
【杣木(そまぎ)】 杣山から切り出した木材。
【杣(そま)】 杣木を切ったり運び出したりする人。きこり。杣人(そまびと)に同じ。
【木挽き(こびき)】 木材を鋸(のこぎり)でひいて用材に仕立てること。または、それを職業とする人。
【木地屋(きじや)】 轆轤(ろくろ)を使って椀や盆など、木地のままの器物を作る職人のこと。藩政期には良材を求めて山から山へと渡り歩いていた。
【頭首工(とうしゅこう)】 河川などから農業用水を用水路へ引き入れるための施設の総称。
【管流し(くだながし)】木材や竹材を筏を組まずにバラバラで流す方法で、四万十川ではバラ流し、堰出し、カリカワ、流材などと呼ぶ。


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〒789-1401 高知県高岡郡中土佐町大野見吉野12
電話:0889-57-2023 Fax:0889-57-2710

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